日曜は自宅で愛息の1歳のお誕生日会。招待客は親戚陣と私のギャンブル仲間で、乾杯もそこそこに競輪観戦&ネット投票に興じるクズさんチームに、親戚チームは呆れることしきり。主役の競太郎くんはといえば…これがなかなかたいしたもので、叔父に抱かれながらも時折TV画面を凝視していましたとさ。うーむ、我ながら教育が行き届いておる(笑)。
その競輪・西王座戦は相変わらずの大量落車やルール違反などありつつも本日は最終日。今回最も物議を醸したのがグランプリレーサー・加藤慎平(岐阜)の途中帰郷。初日特選で重注(重大走行注意)を受け、これで累積事故点が119点。これが120点になると一ヶ月の斡旋停止をくらってしまうため「あ、これ以上走ったらヤバイ」と思ったか。帰郷理由はいちおう体調不良のため、となっているものの、こりゃバレバレでしょう。「今度タバコ吸ってたら停学だぞ」と言われたヤンキー高校生が「んじゃ風邪でしばらく休みまーす」って言ってるようなもんだ。日刊スポーツではご意見番・中野浩一氏が「なんで簡単に帰すんだ!」とお怒りだったが、売上的にも他選手に与える影響という点でも責任は大きい。
だいたい、こうなると事故点制度そのものにも問題はある。要は「120点いかなきゃ何したっていいよ」って言ってるようなもんでしょ。それじゃ普段から確信犯的にアブナイ走りをするような選手はどんどんズル賢くなっていくに決まってる。ヘタすりゃ事故点を基準に自分の走りを考えるような。それでヤバくなったら休めばいいんだから。
…というのが今の競輪界の現状であり、これに対しては「もっと事故点の基準を厳しくする&休むこと自体にも罰則を加えることが必要」だとか「今の選手は身勝手すぎる。これじゃ客も離れて当然」といった意見が多いようで、かく言う私もそれは確かに思うのだが……なにか釈然としないというか「そんな問題でもないような気もする」昨今なのだ。
ついさきほど昔の競輪映像を見ていた。今でもオールドファンの間では語り草になっている昭和40年・川崎オールスター戦優勝戦。スタンドに入りきれない観客がバンクの中に入り込んで観戦し、優勝した白鳥伸雄選手を観客がその場で胴上げしたというあのレースだ。モノクロで勝負服の色はわからないし、ところどころピンが甘かったりして粗悪な映像なのだが、競争の白熱ぶりと選手の凄さは十分に伝わってくる。当時の先行日本一・高原永伍が逃げ、最終バックは一本棒。番手・平間誠記と高原の一騎打ちかに見られたが、3番手の白鳥が直線だけで鋭い追い込みを見せ突き抜け…という結果。
このレースが40年後の今でも語り草になるほどの感動を客に与えたのは、レース後の胴上げもあるが、やはり「切磋琢磨したプロ中のプロの選手たちが魅せてくれた凄い競争」だったからに他ならない。選手個々には「勝利へのあくなき執念」があり、打つ客側には「自分が信じた選手に全てをブチこむ快感」があった。それぞれ、今の選手・客(私含む)にそれがあるか? と問われれば「全てがヌルい」と言わざるを得ない。何がヌルくさせたのかといえば、選手の心構えであり、客の心構えであり、そのヌルくなった中でもなんとか売上を保つためにくるくると変えるルール(事故点制度含む)であると思うのだ。
つまり、ギャンブルから「豪快さ(爽快さ、と言ってもいい)」を失くすような方向性でものを考えてしまったため、公営競技はこんなにも腑抜けてしまったと。昔でも、世間では「ギャンブル」と差別されていたのだろうが、いざレース場に行って競争を見れば「うおぉぉ、燃えるぜぃ!」となったわけだ。人一倍公営競技が大好きな私でも、最近そういう気持ちになることは…あまりない。だからこそ、ちょっとでもみんな(選手側・客側)が本気で燃えるようなレースを探してはブチこむ(毎日のように打ってはいるが、これでも本気でブチこむレースは年にいくつかなんですのよ)ような打ち方をしている、いや、せざるを得ないわけで。だってそういうレースじゃないと楽しくないんだもん。
レースギャンブルが他の賭け事やレジャーに勝る一番の点は「見てすぐ燃える」というところ。ちょっと細かいこと考えすぎなんじゃないの!? 具体的にルールや制度に反映させるのはなかなか難しいとは思うが、全てにおいてもっとシンプルに考えることが必要なのでは、と感じる今日この頃なのだ。
==========
2月21日(火)の注目レース
【奈良11R G2西王座戦 決勝】電投締切16:25
←3村上義弘−1小野俊之−5合志正臣
2金子貴志−4一丸安貴−9浜口高彰
7市田佳寿浩−8澤田義和
6有賀高士
禁じ手スレスレの「誘導早交わし」を勝ち上がり段階で使ってしまった金子はマズかった。もう同じことはできなく、村上の行き過ぎた先行意欲を抑える手立てはない。
最終バックは
78
3156 249
みたいな感じで、スンナリなら小野の差し切りだが、今回の脚力比較では村上の逃げ切りも五分五分。気合入ってるぶん村上かな。
枠単 3−4(本線)4−3 3−5 おさえ1−3
その競輪・西王座戦は相変わらずの大量落車やルール違反などありつつも本日は最終日。今回最も物議を醸したのがグランプリレーサー・加藤慎平(岐阜)の途中帰郷。初日特選で重注(重大走行注意)を受け、これで累積事故点が119点。これが120点になると一ヶ月の斡旋停止をくらってしまうため「あ、これ以上走ったらヤバイ」と思ったか。帰郷理由はいちおう体調不良のため、となっているものの、こりゃバレバレでしょう。「今度タバコ吸ってたら停学だぞ」と言われたヤンキー高校生が「んじゃ風邪でしばらく休みまーす」って言ってるようなもんだ。日刊スポーツではご意見番・中野浩一氏が「なんで簡単に帰すんだ!」とお怒りだったが、売上的にも他選手に与える影響という点でも責任は大きい。
だいたい、こうなると事故点制度そのものにも問題はある。要は「120点いかなきゃ何したっていいよ」って言ってるようなもんでしょ。それじゃ普段から確信犯的にアブナイ走りをするような選手はどんどんズル賢くなっていくに決まってる。ヘタすりゃ事故点を基準に自分の走りを考えるような。それでヤバくなったら休めばいいんだから。
…というのが今の競輪界の現状であり、これに対しては「もっと事故点の基準を厳しくする&休むこと自体にも罰則を加えることが必要」だとか「今の選手は身勝手すぎる。これじゃ客も離れて当然」といった意見が多いようで、かく言う私もそれは確かに思うのだが……なにか釈然としないというか「そんな問題でもないような気もする」昨今なのだ。
ついさきほど昔の競輪映像を見ていた。今でもオールドファンの間では語り草になっている昭和40年・川崎オールスター戦優勝戦。スタンドに入りきれない観客がバンクの中に入り込んで観戦し、優勝した白鳥伸雄選手を観客がその場で胴上げしたというあのレースだ。モノクロで勝負服の色はわからないし、ところどころピンが甘かったりして粗悪な映像なのだが、競争の白熱ぶりと選手の凄さは十分に伝わってくる。当時の先行日本一・高原永伍が逃げ、最終バックは一本棒。番手・平間誠記と高原の一騎打ちかに見られたが、3番手の白鳥が直線だけで鋭い追い込みを見せ突き抜け…という結果。
このレースが40年後の今でも語り草になるほどの感動を客に与えたのは、レース後の胴上げもあるが、やはり「切磋琢磨したプロ中のプロの選手たちが魅せてくれた凄い競争」だったからに他ならない。選手個々には「勝利へのあくなき執念」があり、打つ客側には「自分が信じた選手に全てをブチこむ快感」があった。それぞれ、今の選手・客(私含む)にそれがあるか? と問われれば「全てがヌルい」と言わざるを得ない。何がヌルくさせたのかといえば、選手の心構えであり、客の心構えであり、そのヌルくなった中でもなんとか売上を保つためにくるくると変えるルール(事故点制度含む)であると思うのだ。
つまり、ギャンブルから「豪快さ(爽快さ、と言ってもいい)」を失くすような方向性でものを考えてしまったため、公営競技はこんなにも腑抜けてしまったと。昔でも、世間では「ギャンブル」と差別されていたのだろうが、いざレース場に行って競争を見れば「うおぉぉ、燃えるぜぃ!」となったわけだ。人一倍公営競技が大好きな私でも、最近そういう気持ちになることは…あまりない。だからこそ、ちょっとでもみんな(選手側・客側)が本気で燃えるようなレースを探してはブチこむ(毎日のように打ってはいるが、これでも本気でブチこむレースは年にいくつかなんですのよ)ような打ち方をしている、いや、せざるを得ないわけで。だってそういうレースじゃないと楽しくないんだもん。
レースギャンブルが他の賭け事やレジャーに勝る一番の点は「見てすぐ燃える」というところ。ちょっと細かいこと考えすぎなんじゃないの!? 具体的にルールや制度に反映させるのはなかなか難しいとは思うが、全てにおいてもっとシンプルに考えることが必要なのでは、と感じる今日この頃なのだ。
==========
2月21日(火)の注目レース
【奈良11R G2西王座戦 決勝】電投締切16:25
←3村上義弘−1小野俊之−5合志正臣
2金子貴志−4一丸安貴−9浜口高彰
7市田佳寿浩−8澤田義和
6有賀高士
禁じ手スレスレの「誘導早交わし」を勝ち上がり段階で使ってしまった金子はマズかった。もう同じことはできなく、村上の行き過ぎた先行意欲を抑える手立てはない。
最終バックは
78
3156 249
みたいな感じで、スンナリなら小野の差し切りだが、今回の脚力比較では村上の逃げ切りも五分五分。気合入ってるぶん村上かな。
枠単 3−4(本線)4−3 3−5 おさえ1−3